平成17年3月、寝台特急”あさかぜ”が廃止された・・・。
さくらが廃止され、日本海・北斗星の縮小・・・。
出雲・銀河・なは・あかつき・・次々と廃止の中、最後まで運転を行っていた”はやぶさ富士”。
平成21年3月14日のダイヤ改正でついに終焉、東海道山陽を走るブルトレは無くなった・・。
今でもつい最近のように想いおこされる東京発着のブルートレイン。
出雲・あさかぜ・みずほ・富士・はやぶさ・さくら・・・
思えば、もう何年も前から、廃止への階段を登り始めていたのだった。
新幹線開業以来、移動時間が速達化され、高速道路網の整備で、夜行バス路線も安価に整備され、
高くて遅い現在の”寝台列車”では、もう先が見えないことは明らかな状態となっていた。
ただ、一部路線においては、”豪華寝台特急”を称することで、現在でも取得困難なプレミアチケットものの
寝台特急が運転されているが、九州方面への列車に関しては、このような豪華版への変化も見られることなく、
完全に終焉してしまうことになった。
平成17年、さくら・あさかぜが廃止されたとき、かろうじて残った”はやぶさ富士”にロビーカーはつかなかった。
設備の改善も行われることもなく、もう、全廃も時間の問題の如く、寝台特急集客への試みは行われなかった。
ただ高くて遅いものは、もう衰退するしかなかったのである。
現在から遡ること35年以上、ある1枚の写真を見せられたのだった。
これが、ブルートレーインとの最初の出会いであった。
被写体のぶれたなんともならないようなこの1枚の写真に、異様にひきつけられた。
機関車にイラストのヘッドマーク、もうこれだけで素晴らしかった・・・。
魅せられたからには、自分の目で見たい・・
向かったのは、無謀にも真夜中の通過駅であった。。
当然のように轟音とともに、通過していった寝台特急。
先頭には、憧れのヘッドマークは既に無かった・・・。
そう、ここ日本海縦断の寝台列車は、合理化という名目の元、率先して?HMを外されたのだった。
それでも、丸みを帯びた青い車体が、駅の蛍光灯に輝いて・・・
ここに、初めてのブルトレとの出会いを果たすのであった。
1975年3月10日にダイヤ改正が行われ、湖西線経由となった寝台特急”日本海”は、
臨時も含めて2往復となった。
今思えば、この時期あたりから食堂車が廃止されるようになり、
少なからずと寝台特急は衰退への一歩を歩みだしてしまっていたのだろう。
車両自体は、あかつきとの間合い運用で14系に変更されていた。
もちろん、HMは合理化の一環で完全にはずされることになっていた。
湖西線経由が開始されたこの頃には、優等列車には、もうEF70の姿はなく、
縦貫用のEF81が、HMも無いままにその牽引任務に就いているのであった。
この後、いよいよ大阪口での寝台特急群との出会いを果たすことになる。